2013年4月8日月曜日
体の思いのギャップについて
本日は、体の思いのギャップについてです。
先月の投稿でも書きましたが、
毎日ではありませんが、週に2~3回は朝練テニスに行ってます。
冬は、日が短いので、出来ませんが、毎年3月頭位から、スタートします。
このスタートした頃がとても起床するのが、激務で辛くしんどいのです。
たかが、2~3か月で、体の調子が変わってしまうんですね。
そういう意味では人間は、環境対応が速いという事も言えます。
再度、体に良い事をしようとしているのに何故、「つらい」という
症状になるのか?
僕は、何気ないそういうことが、不思議に思うんです。
トレーニングする事自体もそうだと思います。
強くてしなやかな体を作ろうとして、走ったり、ジムに行って荷重を
かけたりしています。
これは、気持ちいいという部分もありますが、それはそういう事が
好きな人の場合であって、好きではない人にとっては、「苦」そのものです。
しかし、本当は好きでない人もやった方が、体にはいいわけですよ。
でも、好きでない人は、「辛い」ということになってしまうので、
やれないという事になってしまいます。
人間を作った神様は、なぜ、こうした「体と思い」のギャップを作ったのでしょうか?
アスリートの話とは、離れてしまいますが、
女性にお産の苦や生理の苦をなぜ、与えたのかについて
いつも考えてしまう事があります。
女性のそいう機能は、無くてはならないことですが、
なぜ、「快楽」では無く「苦痛」与えたのでしょうか?
せめて、快楽までいかなくとも苦痛のない普通の状態を
与えてもらっても良かったのではないかと思ってしまいます。
アスリートのトレーニングのこともそうですが、
「苦あれば、楽あり」ということなんでしょうか?
とすると、やはり、「苦」をとりいれるということは、
大切という事になります。
そうでないと、体と心も強くなれないのでしょうね。
そして、「苦」を習慣化できれば、それに越したことはない。
より大きな成長と喜びを味わう事ができる事になるのでしょう!!
大きな苦、小さな苦、人それぞれ、いろんな苦があると思いますが
自分の神様が「やったぽうがいい」ささやいたら、
まず、その苦をやって見ることが、大切なのかもしれません。
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